シニアひとり「aberunrun徒然日記」

• 日々のおひとり様生活を綴っている60代です。

義母のロシア戦争

遠い国、ロシア・ウクライナ戦争は亡くなった義母を思い出します。😢

私の両親の戦争の思い出は、山の向こう側が赤く染まっていた。

そして、大人達が泣いていた。の記憶ぐらいだそうです。

終戦後も農家だったので、食べるものにも困らず、

私がテレビ等で思う終戦ではないようです。😅

しかし義両親には過酷な終戦だったようです。😢

義父は三男。兄二人が戦死して、いきなり跡継ぎに格上げしたと、

冗談交じりで言っていました。😒

しかし義母は、冗談も言えないくらいの惨事だったようです。😢

義母は樺太(今のロシア)で生まれ青春時代を過ごしていました。

実家は土木工事を請け負う親方だったとのことで、

お手伝いもいるとても裕福な暮らしをしていたそうです。😊

それが戦争に負け、着の身着のままで家族(6人)で逃げて逃げて

引き上げ船に乗船できたとのこと。逃亡時は死体を避けながら走ったそうです。

自分たちが乗船できたのは、

欲を捨て、何も持たずにひたすら逃げたからと言っていました。

義母の父は実家にいつも仕送りしていて、実家に戻れば歓迎して

受け入れてくれるという思いだったから、何も持たなかったと言っていましたが、

いざ帰ってみると、すでに弟家族が住み着いていて、居心地が悪かったようです。

それからも、私がテレビ等で知る、終戦後だったようです。

ニュースでロシア・ウクライナ戦争が報道される度、

心の中で「お義母さん、ロシア(プーチン)負けるといいね、

ウクライナがお義母さんの仇とってくれますように」🤐と思います。

義母の両親が他界した後、何十年も経ってから

国から戦前済んだ土地(財産)は放棄するか?みたいな書類が届いたけど、

自分は放棄しないから捺印しない。と言っていた。

(私には、どういう書類だったのか解らないが)

また、生まれ育った樺太(現サハリン)に行って、自分たちの居たところは

どうなったか見てみたいとも言っていました。

その思いなのかな?🙂